手前雑記

春から哲学の大学院生になりました。いまはもう教員養成大学の人ではないです。アカデミックなことは書きません。

深夜テンションで書いた修了にあたってのFacebookの投稿

ようやく昨日に修士(文学)を取ることができました…コロナ後の体調不良の治療に専念した休学期間を含め4年かかってしまいました。

2019年、大学院に入学してわずか2週間で指導教員(現代思想•対話論)のゼミを離れ(その教員の、ゼミでの院生に対する言行が到底許せなかった)、哲学にも哲学対話にも失望し、途方に暮れていたところを今の指導教員であるカント研究者の先生に拾ってもらったことが、自分の思考の転機となりました。

修論では、アドルノ(20世紀ドイツの哲学者•音楽評論家)が晩年のラジオ講演で、あるべき教育について語る際、カントの「自律」「成熟」といった概念を肯定的に持ってくるのはなぜだろう(アドルノはそれら概念を痛烈に批判していたと一般的に言われているのに)という問いを、著作や講義録の読み直しを通して答えようとしました。修論を審査の先生方は好意的に読んでくださったのですが、私としてはあまり納得がいく出来ではなく…とはいえ大学院で学んだアドルノとカントの哲学は多くの希望を私に与えてくれました。

学部時代は、「有用」な「即戦力」たる教員になれという圧力が、学問を押しのける勢いで大学中にあり(現在の教員養成系の教育学部は私がいた頃よりもはるかにこの傾向が進んでいると思われます。追記:昨日はこのようなニュースが出ました→https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20230325-OYT1T50207/2/)、反抗するように学んでいましたが、大学院ではつくばの地で腰を落ち着けて学ぶことができたのが良かったです。自分自身の生をゆっくり時間をかけて(かけすぎましたが)見つめ直す貴重な時間でした。心の治療期間だったと言って良いのかもしれません。

春からは、院生時代にずっと非常勤で働いていた高校に専任で働くことになりました。うまく働けるのか、とか、哲学をする時間があるのか、とか不安は大きいですが…。ご助言等いただけましたら幸いです。来年度は休学しますが博士課程にも籍を置きます(研究する時間が取れるかは…分かりません)。とにかくこの先何があっても、どんな形であれ哲学をし続けたいなと思います。